心の中
プラトン著「国家」におもしろいと感じた表現がありました。
(個人的な解釈も含まれていますので、ご了承ください。)
それは、人の心の中についてです。
プラトンは想像してほしいと言います。
①複雑で多頭の怪物
(まわりにつけたいくつもの頭には、穏やかな動物の頭もあれば
猛々しい獣の頭もあり、しかもそれらすべてをを変化させたり、
自分の中から生やしたりすることのできる怪物)
②ライオンの姿
③人間の姿 (神的支配者という表現もあります)
ただしその大きさは、怪物がずばぬけて最も大きく、ライオンが二番目に
大きいとする。
それでは、出来上がった三つ(①②③)の姿を一つに結びつけて
それらが互いに癒着し合って一つの生き物となるようにイメージする。
そのイメージが人間の心の中にあるものだそうです。
そしてプラトンは例えます。
不正にお金を受け取って利益とすることや、贅沢、強情や気難しさ、
へつらいや卑しさという状態は、ちょうど心の中で
①怪物や②ライオンたちが噛み合い闘い合って、互いに相手を
食い合うがままにさせておくことで、他方③人間を飢えさせ弱くして
①②怪物たちに引っ張り回される状態だそうです。
反対に正義(正しい事)をなすことや一般に認められている美しい事柄とは、
心の中で、獣的な部分を内なる人間(神的なもの)の下に、
服従させているような状態だそうです。
私自身の行動ひとつひとつに、客観的に当てはめてみると
おもしろい気がします。
追い込まれた心の状態ほど、③人間(神的支配者)の部分を保つことが
容易ではない気がしました。
お世話になっている方から教えていただいたことを思い出します。
「どんなときにも、誰に対しても真摯に向かい合えたら一流だよ。」
一流になるには、私にとってはまだまだ心の鍛錬が必要です。
真摯に向き合うとは、拓先生にとってはどういう状態をいうのですか?
三河屋様
コメントありがとうございます。
簡単に言えば、相手の心(奥底にある心)の訴えを感じて
あげられるかということでしょうか。
自分のコンディションや相手との相性などによって
お互いの奥底にある心の共鳴を避けてしまうことが
あり得ると思います。
相手が本当に困っている時に、手助けできるかは
自分の心の在り方であるような気がします。
すばらしい。
三河屋様
ありがとうございます。